矢田太郎弘家の供養塔

浄土真宗 光円寺
〒753-0222
山口市大内矢田南3丁目11-36
電話 083-927-1148

 

 

 

矢田太郎弘家の供養塔(お墓)

  矢田太郎弘家は、大内氏21代の当主・大内弘家のことで、鎌倉時代の末期の人です。生年は不明ですが、正安2年(西暦1300年)3月28日没。法名「大宮寺殿本州大別賀圓浄大禅定門」。弘家については、防府市の阿弥陀寺文書に記述有り。
  大内氏は、推古19年(西暦611年)防府市多々良浜に渡来した百済の聖明王の第三子・琳聖太子を始祖とし、多々良を姓とし、代々周防国衙に仕え、在庁官入として有力豪族として成長していき、平安末期に居を山口市大内に定め、多々良の姓を改めて、大内と称する。
  第21代弘家は、矢田に住し、矢田太郎と名乗る。二度の蒙古襲来=文永の役(西暦1274年)と弘安の役(西暦1281年)=では、九州の豊前から博多に兵を動員する。その後、守護大名へと飛躍して、弘家の曽孫・弘世が長門の豪族厚東氏・豊田氏を滅ぼし、防長二州を平定して、その後山口開府をすることとなる。
  大内矢田に「良君城」という地名があり、この附近に矢田氏の屋形があったのではないかと云われています。
    平成17年1月1日
                             光円寺 住職 記之